銀河ぐらますガイド 造型分室

元プロモデラー・もこもこフジタの、やっつけ模型ブログ

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なんとまぁ、気づくと数年も更新してなかったこのブログですが、一応、まだ生きてます(笑)

ずっと止まっていたモデリングですが、ここ数年、全く何もしてなかったわけではなくて、ほんの少しずつは模型をいじっていたのですが、ま、ほぼいじる時間がなかったのが実際です。

本当に少しずつですが、いじる余裕ができてきたので、今年は少しでも作っていきたい、と希望してますが、そのへんは後述の事情に左右されるので不定です。

とりあえず、まだ掲載はしてませんが、これまであれこれ、目移りしつつ平行していじり倒してきていた模型を、とっとと仕上げてしまおう、ということで、昨年末あたりから、ちょくちょく完成品作ってます。


で、本家のブログを読んで頂いている方は事情が分かってるでしょうが、これまでの経緯を列記しますと、まず、2020年、家庭の事情で突然、実家の近くに引っ越すことになりまして、家を探しまくる作業や契約、中古なんでリフォームのことやら、引越の作業やらで半年ぐらいかかったのかな、その間、模型どころじゃなかったです。

2021年の春に引越後、一応、水回りなんかは自分では無理なので業者を使ってリフォームもしてるんですが、出来るところは自分でやる、という主義で、もう半分建築みたいな作業をやってまして、まあ、言うなればコレも
巨大モデリング(笑)
ですよね
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△巨大モデリングの一環、坪庭。お風呂の窓の外。ジオラマテクニックが存分に発揮されている、かな? スタイロフォームを削り出してセメントを塗って岩を作ってる。 むろん塗装はドライブラシだ!


ガレージの塗り直し、家の塀のサイディングの張り替え、勝手口の外にある古い波板の屋根壊してセメント打ちしてウッドデッキ作ったり、トイレの壁DIYしたり、自分の部屋は好き放題に壁紙張って木を張ったり押し入れぶち抜いて秘密基地化したり間接照明仕込んだり、和室を和モダンに改造したり、気に入らないとこや補修したところを塗り直したり・・・・まー、とにかく、ありとあらゆる部分をDIYで作業していて、当初の計画だったその改修作業が、ようやく、だいたいのところで落ち着いてきたのが最近です

で、その途中で更なる波乱があり、2021年末に猫とフェレットがたてつづけに死に(なんとフェレは大晦日、死にゆくところを見守る年越しでした)、気落ちしていたところに、年明けに追い打ちで、とある理由で病院にかかったところ
あんた、これ、末期の大腸がんだよ、すぐ入院しないと死ぬよ
と言われまして、その日のうちに入院したのが 2022年の頭(T^T)

希望の病院への転院とか色々あって、約一ヶ月入院、1月末に大腸を切除する手術をしまして、4月には転移した肝臓を切除する手術をしました。
一応、がんの患部は全部取れて、その後は、5月から予防措置としての抗がん剤の投与が始まりまして、これが約6ヶ月連続投与なんですが、途中で期間延長したりなんやかやで11月まで。

 抗がん剤にも色々あって、私のやつは世間のイメージのように毛が抜けたりはしないんですが、末端過敏とか倦怠感とか手足のしびれとか色々あって、特にだるさがハンパなく、同時に気力も失せるもので、半日動いたらもうダウン、みたいな感じでした。
歩くときは足がしんどいので杖ついてます。
この副作用は、薬をやめたらすぐ治るわけではなく、早くても数年、長いとずーっと続くそうです。

更なる追い打ちが、この抗がん剤の副作用でしんどくでやっとこさ生きてる状態なのに、夏に父が急逝しまして、更に精神的なダメージが加算されて気力が失せて。

冒頭の画像の「喪中」はそういうわけです。

父は97歳だったので大往生なんですよ、なんですけど、頭もしっかりしてて全然ぼけてなくて、周囲にも、こりゃ100歳までいくなぁと思われていて、3日前には普通に会話してたのに突然だったんで、かなりショックで。

おまけに、母も老齢で難しいことさっぱりですから、死後の手続きやらを、しんどい体にむち打って、あちこち駆けずり回ってやっていたので、二重にしんどかったという。
まー、本当に、人が一人死ぬというのは大変なことですね。  


と、まあ、そんな事情だったので、ここ数年、ほとんど、模型なんか作ってる余裕はなかったんです、物理的にも、精神的にも。


そして、だいたい死後の手続きも終わり、年末には200枚の喪中はがきを作り終え、お墓の移転なんかもやってたんですがその面倒な作業も終わりまして、一段落感がでてきました。

家のリフォームもようやくだいたい予定してたことは大きな作業は終わり、あとは庭に池作るだけです<コレは余計なプロジェクト(笑)ですが、一年計画です。

また、病気のほうも抗がん剤の終了で終わり、夏と年末の定期検査でとりあえず今のところ転移は見られない、という結果が出たので、やっと数ヶ月は病院行かなくてよくなりまして、定期的な病院通いから解放され、すばらしい開放感を味わってるところです。

とまあ、ようやく、数々のことが一段落しつつあり、気力はなくダルいものの、少しずつ余裕を取り戻しているので、今年は模型を作っていきたい所存です。

前述の「後述の事情」ってのは、要するに次の定期検査でまた転移が発見されたら模型どころではない、っていうことですね。


さあ、今年は頑張って生き延びるぞー!w

ずいぶんと間があきましたが、ぼちぼちブログを再更新していこうと思ったので、そのための前振りを(笑)

最近更新してなかった理由は、今年に入って、また精神的にしんどくなったのがひとつ。
正月、わざわざ年賀状のためにハムスター造型して、他に持ってるブログには載せてるのに、一番関係するこの模型ブログにその記事を載せる気力さえなかったという(笑)

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▲というわけで遅ればせながらコレがそのハムスター。年賀状の写真を撮るためにフルスクラッチで作った。3Dプリンターで作って塗装。
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▲これは年賀状の合成素材用に、ブルーバックで抜くために撮ってる。家族全員で共用する年賀状なので、カワイラシイ系な感じにまとめてるのである(笑)

とはいえ、もー、この
定期無気力(笑)はここ数年、毎度のことなんで
それだけならまだギリギリ、ちまちまと何か作ったりはするんですが、年初からしばらく、進まなかった理由の第二が、正月からこっち、痛風になったことです(笑)
なぜか、私、元旦に痛風になるのが決まりごとのようになってまして、昨年も元旦に発症。
今年も同じく、元旦に痛風発作。

風が吹いても痛い、と書いて痛風とはよく言ったもんで、痛風になると、もう、日々、痛みに耐えるだけで精一杯、精神がゴリゴリ削れる感じなので、模型どころではありませんでした。
さすがに今年は懲りたので、ずーっと治療してます、いまだに痛風の薬を毎日飲んでます。

で、それはそれで、発作も治まったんですが、またそれとは別に、腕の靱帯がものすごく痛くなってしまいまして。
とにかく、コレが、強烈に痛いんです。
どのぐらいかというと、水の入ったコップを持ち上げるのが困難なぐらいの痛みです。
あまりに痛くて生活がままならないので、医者に行ったら
「ああ、アレね」みたいな感じで当たり前のように言われた
ので、割と歳食うとある病気みたいです。歳で靱帯が硬くなって関節にすれて痛いみたいな感じです。

んで、そうなると、痛くて模型どころではない、というのもあるんですが、お分かりのとおり
模型は手を使う作業なので、腕の靱帯が痛いと、それどころじゃない
わけですよ(笑)
とにかく、痛みは我慢しても、基本
手先のホールド力がない
わけですから、模型の作業なんかできないんです。

もうね、手にパーツもって何かしようと思うと、これが
面白いようにポロポロ落ちるという(笑)

実はそれでも無理してCB750のキット作ったりしてたんですが、もう、以前からアホみたいに落としては割れ、落としては割れ、を繰り返して修復を繰り返していたガソリンタンクが、またしてもボロボロ落としまして、そのたびにやり直し、という、本当に無意味な作業を繰り返してました。
落としたせいだけじゃないんですが、そのへん詳しくはまた今度書くとして、このパーツ、マジで最低20回は一からやり直してますからね、馬鹿みたいです。

んなわけで、この腕の問題のほうは、痛風とは違って即効性みたいな薬はないので、楽になるまでは、サポーターつけたりして、ひたすら痛みがひいてくるまで、我慢の子だったんです。
ま、そんな中でも、少しずつは色々触っていたので、全く何もしていなかったわけでもないんですが、とにかく痛くてしんどいんで、作業を進めるだけで精一杯で、ブログの更新までは手が回らなかった、というわけです。
が、最近になって、ようやくだいぶ楽になってきたので、ぼちぼち更新を再開しようかな、と思った次第です。

皆さんご存じのとおり、昨日2018年6月18日、大阪地方で大きな地震が発生しました。

最大震度を記録したのが高槻市、枚方市などですが
私の出身地は高槻市で実家があり、枚方市は違いますが、今の家から歩いてものの10秒で枚方市に入ります。
つまり、完全に精神的、物理的に直撃地帯です
幸い、実家のほうは、それほど被害はなかったようです。

我が家も、相当、物が壊れましたが、人間とペットは全員無事でした。
犬がちょっと、PTSDっぽくなってます。
結構、壊れたものを買い直すにのに、金がかかるレベルですが、二度と戻らないものは、ほとんど壊れなかったのは良かったです。

地震の経緯や惨状自体は、本家のブログに書いてるので、そこは省き、模型の話題だけ。

私の部屋は、模型を飾る棚があるのですが、なんせあの揺れですから、ひどいことになってるだろう、と思っていたのですが(外出中だった)、意外なことに、想像ほどの被害はなかったです。
ほとんど全てが落ちていることを想像していたのですが、壊れたのは数個のみ。
あとは棚の上に山積みしていた模型の箱と、模型の道具なんかは、全部投げ落とされてましたけれど。

どうやら、揺れの方向に対して、模型の棚が直角?だった、いや、直角なのか、平行なのか、説明が難しいですね、東西の揺れだったようなんですが、棚の正面は南北向きなので、横向けに揺れて難を免れたようです。
それとは90度角度が異なる食器棚や本棚は、片っ端から物が落ちていました。
それでも、棚の位置自体が、かなり動いていましたので、相当な揺れだったみたいです。
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▲こういうの、見る人は、何が落ちてるか見るでしょうね(笑) 詮索されるの面倒なので、ポイントだけ自分で解説しておくと(笑)上の写真で奥にあるのが模型専用の製作机。机の下にあるのは小型犬用のトイレ、フェレットを放したとき用のもの。散らばってるのは筆や塗装用のクリップ。HDDとかも落ちてる。手前にあるじゃばら筒はフェレットのおもちゃ。
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▲奥に扇風機やエレキギターが見える。フジミのウルトラホーク2号や、ポーラライツのエンタープライズ号、ゴジラ、MAXファクトリーのパシフィック・リムやメビウスのバットマンやギャラクシークエスト、パンナムの宇宙船(2001年宇宙の旅)などが散乱。お菓子の空き缶みたいなのはお菓子ではない。AMTから再販されていた、貴重なスタートレックのミスター・スポックの限定生産缶パッケージ、その下にあるのが映画版の金型改修版。ごく最近入手したので積んでたもの。奥のもちもちクッションに落ちてるのはHDD。基本、猫の寝床(蓄膿症で鼻水まき散らす)なので汚い(笑)

完成品で壊れたのは、このブログでも紹介していた、猿の惑星のコーネリアス、あとビークルモデルのスターデストロイヤー。
唯一、悔やまれるのが、30年ほど前に「ホビージャパン」の表紙を飾った「ロボジョックス」のマツモト13号です。バラバラです。
以前から書いてますけど、私、驚くほど昔は自分の作品に執着がなかったので、プロのときに作った作品はほとんど全部捨てて、一部は人にあげており、残ってるのは、マツモト13号ぐらいなんですよ。
言い換えると、それだけ思い入れがあった模型なわけです。
Hobby Japan-018
▲コレ。「パシフィック・リム」の原点、世界初の実写巨大ロボット映画。かつてはDVDなんてものはなく、ビデオもダビングで画質が悪く、そんな画面を見ながら必死で推測して「1週間でフルスクラッチビルド」したやっつけモデルだが、ふと、最近、資料を探してみたら、案外ほとんど似ていたのが驚きの発見だった。あの当時は、資料なんか手に入らないので、推測で作ったら全然似てなかった、なんて普通にあったのだ。

こういうことがあるので、模型の保管は大切ですね。
って、震度の割に、大きな被害がなかったので、こんなこと言えますけど、本当の震災が来たら、模型どころじゃないですものね。
そう思うと、贅沢な趣味だなぁ、とは思います。

先日、野本憲一氏から教えてもらったのですが、プロモデラーでタスクフォース代表の
千草巽氏が、急逝されたそうです。

追いかけていたわけではないので、今回、訃報を聞いてTwitterを拝見したのですが、昨年の11月まで元気にツイートされているようですので、ホントに急な病気だったようですね。
氏とはそれほど交流があったわけではなく、せいぜい何度か面識があった程度ですが、同年代の同時期に活躍された方です。
昔、数体のロボットがひとつのセットみたいになってる設定のアニメものがあって、自分が原型を作っていて、他のロボを千草氏が作っていたということが2,3回あったはずですので、割と引っかかりのある方です。

近年、同時代に活躍されたモデラーの方が、亡くなった話をよく聞きます。
長年模型を作っていると、やっぱり体に悪いんだな、などと感じたり・・・まあ、交通事故で亡くなった方などもいるので、一概にそういうわけでもないんでしょうけど、そんな感想を持ってしまうのは事実です。

私ら、いい歳とはいえ、そう亡くなる年齢でもないので、割合からいうと、明らかに一般人よりも多いようには感じますね。

まあ、そのへんの追求はこの話題にふさわしくないので、またの機会にですが、とにかく、
ご冥福をお祈りします。

最近製作記が続いたので、ちょっとどうでもいい話をしてみます。
どうでもいいので、気にならない人はスルーしてください(笑)

私は、結構長い間、ホビージャパンのライターをやってたほうだとは思うんですが、なんせ
何十年前
っていうレベルの話なんで、そらもう、世間には、ほぼ忘れられたレベルですw

それでも、かなり頻繁に紙面に登場していたほうなんで、たまたま、その時期にダイレクトヒットとでもいうか、多感な時期に見られた方ですかね? そういう方の印象に残っている場合もあるようで、時々、いまだにコメントを頂いたりして。
昔は、そんな風に、自分が誰かの中に残るとは思ってもいなかったです。
仮に誰かの心に残っていたとしても、もちろんインターネットもなかったですから、当時の感覚からすれば、そんな知り合いでもない人のことを知る術はないのが当然なわけで、それなら、残ってないのと同じことだったわけですよ。

まさか、ネットで誰でも気軽にコンタクトを貰える時代が来るとは微塵も思ってなかったわけですから、今になって、そういうのに触れると
ありがたい話です。ああ、ライターやってて良かったなぁ
と、しみじみ思う次第です、歳を食ったせいですかね。

でね、そんなだから、ありがたいことに、何十年前にやめたプロモデラーでも、インターネットには、多少なりとも、情報が載ってたりするんですよ。
それで、時々なんですけど、そういうコンタクトを頂いたりすると、ふと、自分のことを調べてみたりする時があるわけです。

昔はほら、若いですから、アホというか、なんかこう、HJの誌面というか、ぶっちゃけ編集部のノリ自体が、かなり
植木等的
な部分もあったせいもあって、調子に乗ってたというか、まあ、早い話が
バカだった
と思いますので、悪口言われるのは仕方ないというか、自業自得というか、つまるところは自分でも納得してスルーできます。

まあ、反面、業界から離れて何十年もたつ今だから、すごく客観的に振り返れると思うんですけど、あの時代の空気というか、漠然としてますけど、誌面の空気だとか業界の空気だとか編集部の空気だとか
他のライターさんとの兼ね合い
というところで、なんとなくなんですけど
自覚的にああいう傾向を演じなければならない、それが自分に課せられた役割である
という意識は若いなりにもうっすらとあって、それで意図的にやっていたところもあるんで、必ずしも調子に乗ってただけ、でもないんですけどね~
なんでしょね、アイドルが意識してアイドルを演じるとか、悪役が意識して悪役を演じるとか、あの感じです。
ま、もちろん、性格的に、単に勘違いで調子に乗ってただけ、って人もいましたけどw
これ以上は言い訳くさいんで言いませんけど、振り替えると、当時のライターさんは、そういう風に、自覚的に自分の役割を演じてた人が多かったと思いますよ。
ベテランなら松本州平先生とか山田卓司先生とかチョーダイおじさん田中先生とか、そうだったと思います、プライベートでお話すると、全然違う感じでしたからね。


ああ、話がどんどんズレました(笑)
ま、そこの昔話はいいんですけど、要するにですね、悪口とかこき下ろされるのは、自業自得というか、昔のしっぺ返しというか(笑) まあ、そんな風に納得してスルーできるわけです、ということを言いたかったわけです。
それはスルーできるけど、さすがにスルーできないのが、インターネット時代の誤情報です。

だってさ、ふと、自分のことを調べてみたりすると、
なんかネット上の自分が凄いことになってるわけですよ(笑)

超マイナーな私ですらこうですから、現役の漫画家さんとかだったら、さぞかし凄いことになってんだな、としみじみ実感できます。
ものすごいありもしないことを書かれて、メンタル弱いとやっていけない、というのはよく分かります。


まず、時々見かけるのが、私が「ボークスに所属していた」という記述なんですけど、そんな事実はありません。
ボークスは、早くから社員にガレージキットの原型を作らせる、という制度を作った会社ですが、私がボークスで原型を作っていた当時は、まだその制度はありませんでした、というか、明確に確立してませんでした。
私はあくまでもフリーでボークスの原型を作っていただけで、全くボークスとは関係してません。

GarageKit-26
GarageKit-38
GarageKit-39
▲無断転用です、すいません。確かに、ボークスでこんなんの原型作ってましたけど、フリーランスです。大量に作りましたね。今だから言うけど、この特撮系のシリーズはあまり売れないので、ギャラはめちゃ安く、趣味でないとやってられないレベルでした。


次に、MAXファクトリーに所属していたという説も、事実ではありませんが、これに関しては過去に記事を書いているのでスルーするとして、MAX○辺氏との確執でモデラーをやめた、という説も見かけましたが、そんな事実は一切ありません。
確かに、当時はその件で事実誤認があり、色々と思うところはありましたので、その経緯を記事にしたこともありますが、少なくとも表だって、確執と呼べるものがあったわけではありません。
そのような事実は一切ありません。


あと、根も葉もない噂で
病気になったのでモデラーをやめた
という話がありましたが
全くそんな事実はありません
しかも、「野本憲一氏のHPにそう書かれていた」という説明までありましたが、私の知る限りでは、ノモちゃんは、そんなこと書いたことは一度もありませんよw

最近ご無沙汰ですね、たまには遊びに来てね。
今度は車があるから楽なので、また坂本龍馬の墓とか、見に行きましょうね(笑)


そんなわけで、なんかそーいう事情だから
プロモデラー復帰して欲しいけど、プロモデラー復帰はしないだろう
みたいなことまで書かれてるのを見ましたが、そんなことはありません。
少なくとも本人は、やる気まんまんですw
ただ、現状では製作時間が取れないのでどうかと、技術的に今の水準をクリアできるかは別問題ですがw なんか水面下でぼちぼちと画策してたりはしますw


一番驚いたのは
既に死んでる
という噂ですね(笑)

みなさん、あの世からのブログを拝見しているわけです、はい、読むと呪われますので、呪いを解くには三人以上の人にこのブログを宣伝してください(笑)

ご丁寧に、遺作が「イデオン」だという、そんな話まで書かれてましたw

友人の野本憲一氏にこの話しをしたところ、私は存じ上げないんですけど、最後の作品がイデオンで亡くなられたプロモデラーの方がいるそうで、私もモデラー最後の(原型)作品はイデオンとしているので(本当はバルキリーなので違うんですが)、その人と混同されてるんだろう、とのことでした。

ideon
▲その私が原型を作ったイデオンです。WAVEのEDシリーズです。今、販売されている各種のトイやフィギュアを見たあとでも、個人的にはコレがイデオンでは最良のプロポーションだと自分では思ってます、自分の趣味で判断してるんだから当然ですけどw



なお、私が当時モデラーをやめたのは、単に、その当時、仕事がなくなっていき、業界全体がなにやら低迷してきて、将来性がなさそうに思えたので
生活できなさそうに思えて、可能性のあるコンピューター分野に興味が向いただけのことです

なんせ、全く畑違いの分野ですから、そこで成功するためには、ある程度、今の仕事(模型)を完全に捨て去って専念するぐらいじゃないと、駄目だろうな、と思ったので、きっぱりと模型を捨てただけです。
幸いというか、そのおかげで、全く畑違いのコンピューター分野でもそこそこ活躍できて、たくさん著書や市販ソフトも出しましたけど、さすがに10年ちょっとでIT不況が来るとは思いませんでしたw

まあ、モデラーをやめた背景には、仕事で模型を作り過ぎて、うんざりしてきた、という現実もありましたけどね。
なにせ、全盛期の当時は、HJの作例と平行して、WAVEやVOLKSのガレージキットの原型、タカラの試作やバンダイの商品見本などなど、月に何作も作ってましたからね、徹夜の連続で、疲れすぎていました。
今のように、オタク商品が大量に売れる時代じゃないですからね、当然、個々のギャラも安いわけで、当時は、たくさん仕事しないと、生活できなかったんですよね。

当時は、まさか、こんな
1億総おたく
時代で、彩色された完成度の高いフィギュアが普通にそのへんで売られる時代が来るとは
想像もつかなかったんですよねー

想像ついてたら、プロモデラーをやめなかったと思いますけどねw


なお、コンピューターの仕事をしたせいで、デジタル世界というのは、どんなに凄くても実体がありませんから、逆に
物理的な存在である模型の良さ
を再認識できた、というのは、とても強くあって、それがモデラー復帰に繋がっています。
このへんの話も、いずれ書くといいかもしれませんね。

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