後編を公開したつもりで気づいたら公開してなかったので、えらく間があいてしまいましたが、続きです。
徒然なるままに、思い出すこと、思いつくことを書いているので、話があちこちに飛びますが、前回の続きです。
まず、前回の話で、伊藤さんがそのままでいいよと言ってくれたので、詳しくは訂正しませんが、自分が納得できないので書きますが、ちょっとカメラマンの件は事実誤認がありました。
ま、単に私が「電撃」創刊当時は部外者になってたので、誤認というか、事実を知らなかっただけです。
あと、村尾ゴジラ先生や揚田先生は、ちょうど最初のMG事件があったときのデビュー組だったそうです。
それと、コメント頂いて気づいたんですが、書いたつもりで書いてなかった話ですけれど、デビュー当時の話ですが、いわゆる「MG事件」に関してですね、当時、そんな若手の馬鹿な若者に
あえて、つつかないほうがいいような微妙な話題を懇切丁寧に説明して教えてくれる
人がいるわけはないんですよ。
だから、こっちは、最初はMGの分裂騒動なんて全く分かってなかったんです。
次第に、だんだんと、事態が分かってきたわけなんですけれども。
最初は、さっぱり分かってないから、せっかくキャラクター模型誌が2つあるんだからMGでも仕事したいな、とか思ったりもしてました。
そーいう話をしてたら「MGで仕事したらHJでは仕事できなくなるで」とか誰かにアドバイス貰ったりして、最初は何も内情を分かってないから「単に、やっぱライバル誌で仕事するのはまずいのか」とか思ったりしてただけで、あとで、もっと根深い原因があることを知ったりしてました。
まあ、その後、私は引退したあとで、再び「電撃事件」が起きたわけですが、部外者の位置から見ていると、まるで、MGのときの出来事が繰り返されているようで、ちょっとびっくりしましたね。
MGのときとは違い、「電撃」のときの離反者は、みなさん、よく知っている方たちでしたから、かなりの驚きを持って受け止めました。
最初は、部外者だから、現在進行形で事態が分かるわけではない、んですよ。
だから、こちらとしては、ある日、気づいたら
電撃って雑誌が出来てて、HJの編集長だったよく知ってる人が電撃の編集長になってる
んですもの、そら唐突すぎてびっくりしますわ(笑)
さて、話が現役時代に戻りますが、前編で、私たちの頃は、造反事件があったその反動で、自由度が高かったんだろう、という話をしました。
そのうち、次第に誌面作りも落ち着いてきた感はあったと思うんですが、んですが、割と自由奔放な形が定着していたので、しばらくは割と自由でユニークな誌面作りが続いていたと思います。
ま、とにかく、私の場合だと
解剖モデルとか出現モデルとか東京ドームとか古いトイ模型をミリタリー風に勝手に好き放題改造しちゃうとか
ああいうのもそうですが、当時の編集部には
とにかくなんか面白いことしよう
という空気がありましたからね。
もう、意識が「芸人」みたいなもんですね。
ま、真面目な読者の方からすると
そもそも、模型誌がふざけてる必要があるのか!
っていう
実にもっともなお怒り(笑)
というか、不満を持たれた方もいると思うんですけど、今から思うと、それは実に正論なんですが、とにかく、雰囲気がそうだったとしか言いようがないです。
そのあたりの「時代の空気」を、もうちょっと突っ込んで言うとね、あの頃は、たとえばサブカル雑誌の王者「宝島」が爆発的に売れていたようにですね、いわゆる
サブカルブームの最盛期
であったわけです。
一応、模型もまたサブカルの端っこ的な感じがあったんですよね。
サブカルの世界では常識的に
雑誌の誌面は面白く(笑い的な意味の面白い)なきゃいけない
という空気があったんですよ。
そういう時代の空気を受けていた部分もあったのは事実です。
で、特筆すべきなのは、ふざけた模型でも「こっちがこうやったから、これはちゃんとこういう風に撮影して、こんな文章でフォローしてね」とか、そういうアプローチは一切なかったんですよ。
いちいち、ネタ的なことを全部打ち合わせてやっていたわけではなくて、「こういうことをやっとけば、あとは、編集の人がちゃんと誌面で面白く構成したり、面白いキャプション入れて反応してくれるだろう」みたいな感じです。
おそらくですが、編集のほうでも、「コイツにこういうネタ振っておけば、適当に面白く仕上げてくれるだろう」みたいなのがあったんだと思うんです。
一種の
暗黙の雰囲気の共有関係
みたいなものがあった、スベる場合もあったけど、そこがまた良かったです。
そのへんのうまいバランスで、面白くなってたんじゃないかなぁ、って思います。
だから、あの頃は読者さんも「誰々のファン」とか「誰々は嫌い」とかハッキリしていました。
要は、モデラーの個性がはっきり打ちだされていたから、好き嫌いがハッキリしてたんですが、その「個性」ってのは、かなり意識的にやってた人が多かった。
元々、面白い人はいいんですけど、真面目なタイプだと無理して面白いキャラにならなきゃいけないもんで、結構、苦労してた人もいました。
野本氏も根は真面目なタチなので、割と苦労してたみたいです。
彼は30年以上ライターやってる今でも「原稿書くのが苦手」って言うんですけど、その一端は、無意識レベルに、この頃の「なんか面白いこと書かないといけない」という強迫観念がすり込まれたせいじゃないか、とちょっと分析してますが(笑)
あとね、当時のHJが面白かったのは、今まで書いてきた事情もそうですが
オタクサブカルチャー自体が、過渡期にあった
というのがでっかいと思います。
今ではオタク文化は「サブ」どころか「メイン」ですが、この頃は、中森明夫が「東京おとな倶楽部(字はこれであってるのかな?)」で、はじめて「オタク」という呼称を使ったのが、ほんの数年前です、私がデビューした頃は、「オタク」という呼称の誕生から10年経ってないです。
オタクなんて単語は、普通に通じない時代ですよ。
アニメが「ガンダム」の衝撃で、それまでの「子供の見る物」から、中高生が見てもいい、大人の物に向かって行こうとしている時代で、同時に、「うる星やつら」の大ヒットで、美少女キャラが、いい歳こいた男に対してアピールするようになった時代です。
そうしたオタクカルチャーの流れと共に、かつては
スケールモデルと比べると、子供のオモチャであったキャラクターモデル
が、次第に、「大人が作ってもいいじゃん?」的に市民権を得ようとしていた時代です。
まだ一読者だった時代ですが、スケールモデル雑誌のHJに、はじめて「ザク(だったよな確か?)」が載ったときの衝撃は今でも忘れません。
私はずっと昔から言ってるですが、たとえば映画にしろ音楽にしろ、そういったカルチャーは
過渡期が一番パワーがあって面白い
と思うんで、まさに当時のホビーシーンはそんな状態でした。
勢いだけで乱造される香港映画が面白かった時代と同様に、勢いだけで、それこそ
Σ(゜Д゜;エーッ!?
って思うようなガレージキットとかも、ばんばん出てましたものね。景気も良かったから。
今では、すごいマイナーなフィギュアとかも普通に出ますが、あれはオタクの購買層が増えたのでマイナーすぎても一応は元が取れるということであって、当時のガレージキットとは意味が違いますね。
なんせもう、うまいこと企画通して会社の金で自分の欲しいアイテムのガレージキット出してた人さえ、知ってる範囲だけで複数いましたからね(笑)
さて、話がまたシフトします
今思うと、平然とガンダムとか「こことか、こことか、もう全部が最高に格好悪いので、改造します」みたいな徹底改造記事を普通に書いていたわけですけれど
それって、要するに、翻訳すると
お前んとこのキットはすげえデキわりい
って言ってるのと同じことじゃないですか(笑)
今だったら、逆立ちしてもスポンサーさんにそんなこと言えないっていうか、そもそもが、そんな「キットのデキが悪いぞ指摘改造」は、やっちゃまずかろう、っていう判断が先に働いて、言えないし、やらないだろうと思うんですよ。
個人的には、今の模型雑誌がイマイチつまんないと思う
のは、そのスポンサーへの大人の配慮
の部分があると思います。
配慮しちゃうと、結局、小手先改造か、周辺に手を加える(ジオラマにしてみるとか)しか、手段がない。
結局、宣伝誌になっちゃってますし。
で、ここから、ちょっとまとめ入りますが、結局、模型ってさ、年齢いくと、なかなか、いじってる時間がないからね。
前に書きましたけど、でも「作りたい欲求」とか「完成させたい欲求」みたいなものだけはある。
だから、バンダイのキットみたいに完成度が高くて、短時間で、きちんと塗装しなくても見栄えのいいものが出来るようなのも、ありがたいことは、ありがたいんですよ。
だからガンプラとかSWのキットなんか、最初は感情的な反発もあったけど、今ではそれはそれで肯定的に受け止めてはいるんですけどね。
けれど、現実的な大人の事情を一切考えないで、理想としての本質的な模型の面白さを一言でいうなら
いじってなんぼ
だと思うんですよ。
たとえばキャラクターキットであれば、基本的にはそのキャラクターが好きだから買うわけですが、そのキャラクターに対する思い入れがあるから、完成品のフィギュアでもいい、って人がいるわけです。
これはフィギュアという製品への思い入れではなくて、そのキャラクターへの思い入れですよね。
バンダイのプラモは、どっちかっていうと、所有感がこの「そのキャラそのものへの思い入れ」に近いと思うんです。完成品のフィギュアを購入する人の感覚に近いという。
でも、プラモは、いじればいじるほど、愛着のようなものが沸くし、それは、そのキャラクターへの思い入れとは別に、模型という物理的な存在、ソレそのものへの思い入れになるわけですよ。
私なんか、だから別に好きでもなんでもないキャラ、へたしたら知らないキャラでも「模型として面白いから」っていう理由で買ったりするんですよ。
ま、とにかく模型は
いじるからこそ面白い。
というのは、言い換えると
いじる余地のある模型のほうが面白い
とも言えるわけですよ。
だから、模型なんて、最初からカンペキすぎると、どこかこう、面白くないんですよね。
バンダイの最近のキットは「本当にスゴイ」とは思いますが、イマイチ、面白さを感じないのは、そのへんの理由ですね。
模型としての余地が少なすぎる
という。
雑誌に関しても、昔は、模型にそういう余地のある時代だったからこそ、誌面が面白かった側面は強くあると思うんですよね。
まー、なんか話がとりとめない話ですが、長くなったんで、ここらで終わっておきます。
徒然なるままに、思い出すこと、思いつくことを書いているので、話があちこちに飛びますが、前回の続きです。
まず、前回の話で、伊藤さんがそのままでいいよと言ってくれたので、詳しくは訂正しませんが、自分が納得できないので書きますが、ちょっとカメラマンの件は事実誤認がありました。
ま、単に私が「電撃」創刊当時は部外者になってたので、誤認というか、事実を知らなかっただけです。
あと、村尾ゴジラ先生や揚田先生は、ちょうど最初のMG事件があったときのデビュー組だったそうです。
それと、コメント頂いて気づいたんですが、書いたつもりで書いてなかった話ですけれど、デビュー当時の話ですが、いわゆる「MG事件」に関してですね、当時、そんな若手の馬鹿な若者に
あえて、つつかないほうがいいような微妙な話題を懇切丁寧に説明して教えてくれる
人がいるわけはないんですよ。
だから、こっちは、最初はMGの分裂騒動なんて全く分かってなかったんです。
次第に、だんだんと、事態が分かってきたわけなんですけれども。
最初は、さっぱり分かってないから、せっかくキャラクター模型誌が2つあるんだからMGでも仕事したいな、とか思ったりもしてました。
そーいう話をしてたら「MGで仕事したらHJでは仕事できなくなるで」とか誰かにアドバイス貰ったりして、最初は何も内情を分かってないから「単に、やっぱライバル誌で仕事するのはまずいのか」とか思ったりしてただけで、あとで、もっと根深い原因があることを知ったりしてました。
まあ、その後、私は引退したあとで、再び「電撃事件」が起きたわけですが、部外者の位置から見ていると、まるで、MGのときの出来事が繰り返されているようで、ちょっとびっくりしましたね。
MGのときとは違い、「電撃」のときの離反者は、みなさん、よく知っている方たちでしたから、かなりの驚きを持って受け止めました。
最初は、部外者だから、現在進行形で事態が分かるわけではない、んですよ。
だから、こちらとしては、ある日、気づいたら
電撃って雑誌が出来てて、HJの編集長だったよく知ってる人が電撃の編集長になってる
んですもの、そら唐突すぎてびっくりしますわ(笑)
さて、話が現役時代に戻りますが、前編で、私たちの頃は、造反事件があったその反動で、自由度が高かったんだろう、という話をしました。
そのうち、次第に誌面作りも落ち着いてきた感はあったと思うんですが、んですが、割と自由奔放な形が定着していたので、しばらくは割と自由でユニークな誌面作りが続いていたと思います。
ま、とにかく、私の場合だと
解剖モデルとか出現モデルとか東京ドームとか古いトイ模型をミリタリー風に勝手に好き放題改造しちゃうとか
ああいうのもそうですが、当時の編集部には
とにかくなんか面白いことしよう
という空気がありましたからね。
もう、意識が「芸人」みたいなもんですね。
ま、真面目な読者の方からすると
そもそも、模型誌がふざけてる必要があるのか!
っていう
実にもっともなお怒り(笑)
というか、不満を持たれた方もいると思うんですけど、今から思うと、それは実に正論なんですが、とにかく、雰囲気がそうだったとしか言いようがないです。
そのあたりの「時代の空気」を、もうちょっと突っ込んで言うとね、あの頃は、たとえばサブカル雑誌の王者「宝島」が爆発的に売れていたようにですね、いわゆる
サブカルブームの最盛期
であったわけです。
一応、模型もまたサブカルの端っこ的な感じがあったんですよね。
サブカルの世界では常識的に
雑誌の誌面は面白く(笑い的な意味の面白い)なきゃいけない
という空気があったんですよ。
そういう時代の空気を受けていた部分もあったのは事実です。
で、特筆すべきなのは、ふざけた模型でも「こっちがこうやったから、これはちゃんとこういう風に撮影して、こんな文章でフォローしてね」とか、そういうアプローチは一切なかったんですよ。
いちいち、ネタ的なことを全部打ち合わせてやっていたわけではなくて、「こういうことをやっとけば、あとは、編集の人がちゃんと誌面で面白く構成したり、面白いキャプション入れて反応してくれるだろう」みたいな感じです。
おそらくですが、編集のほうでも、「コイツにこういうネタ振っておけば、適当に面白く仕上げてくれるだろう」みたいなのがあったんだと思うんです。
一種の
暗黙の雰囲気の共有関係
みたいなものがあった、スベる場合もあったけど、そこがまた良かったです。
そのへんのうまいバランスで、面白くなってたんじゃないかなぁ、って思います。
だから、あの頃は読者さんも「誰々のファン」とか「誰々は嫌い」とかハッキリしていました。
要は、モデラーの個性がはっきり打ちだされていたから、好き嫌いがハッキリしてたんですが、その「個性」ってのは、かなり意識的にやってた人が多かった。
元々、面白い人はいいんですけど、真面目なタイプだと無理して面白いキャラにならなきゃいけないもんで、結構、苦労してた人もいました。
野本氏も根は真面目なタチなので、割と苦労してたみたいです。
彼は30年以上ライターやってる今でも「原稿書くのが苦手」って言うんですけど、その一端は、無意識レベルに、この頃の「なんか面白いこと書かないといけない」という強迫観念がすり込まれたせいじゃないか、とちょっと分析してますが(笑)
あとね、当時のHJが面白かったのは、今まで書いてきた事情もそうですが
オタクサブカルチャー自体が、過渡期にあった
というのがでっかいと思います。
今ではオタク文化は「サブ」どころか「メイン」ですが、この頃は、中森明夫が「東京おとな倶楽部(字はこれであってるのかな?)」で、はじめて「オタク」という呼称を使ったのが、ほんの数年前です、私がデビューした頃は、「オタク」という呼称の誕生から10年経ってないです。
オタクなんて単語は、普通に通じない時代ですよ。
アニメが「ガンダム」の衝撃で、それまでの「子供の見る物」から、中高生が見てもいい、大人の物に向かって行こうとしている時代で、同時に、「うる星やつら」の大ヒットで、美少女キャラが、いい歳こいた男に対してアピールするようになった時代です。
そうしたオタクカルチャーの流れと共に、かつては
スケールモデルと比べると、子供のオモチャであったキャラクターモデル
が、次第に、「大人が作ってもいいじゃん?」的に市民権を得ようとしていた時代です。
まだ一読者だった時代ですが、スケールモデル雑誌のHJに、はじめて「ザク(だったよな確か?)」が載ったときの衝撃は今でも忘れません。
私はずっと昔から言ってるですが、たとえば映画にしろ音楽にしろ、そういったカルチャーは
過渡期が一番パワーがあって面白い
と思うんで、まさに当時のホビーシーンはそんな状態でした。
勢いだけで乱造される香港映画が面白かった時代と同様に、勢いだけで、それこそ
Σ(゜Д゜;エーッ!?
って思うようなガレージキットとかも、ばんばん出てましたものね。景気も良かったから。
今では、すごいマイナーなフィギュアとかも普通に出ますが、あれはオタクの購買層が増えたのでマイナーすぎても一応は元が取れるということであって、当時のガレージキットとは意味が違いますね。
なんせもう、うまいこと企画通して会社の金で自分の欲しいアイテムのガレージキット出してた人さえ、知ってる範囲だけで複数いましたからね(笑)
さて、話がまたシフトします
今思うと、平然とガンダムとか「こことか、こことか、もう全部が最高に格好悪いので、改造します」みたいな徹底改造記事を普通に書いていたわけですけれど
それって、要するに、翻訳すると
お前んとこのキットはすげえデキわりい
って言ってるのと同じことじゃないですか(笑)
今だったら、逆立ちしてもスポンサーさんにそんなこと言えないっていうか、そもそもが、そんな「キットのデキが悪いぞ指摘改造」は、やっちゃまずかろう、っていう判断が先に働いて、言えないし、やらないだろうと思うんですよ。
個人的には、今の模型雑誌がイマイチつまんないと思う
のは、そのスポンサーへの大人の配慮
の部分があると思います。
配慮しちゃうと、結局、小手先改造か、周辺に手を加える(ジオラマにしてみるとか)しか、手段がない。
結局、宣伝誌になっちゃってますし。
で、ここから、ちょっとまとめ入りますが、結局、模型ってさ、年齢いくと、なかなか、いじってる時間がないからね。
前に書きましたけど、でも「作りたい欲求」とか「完成させたい欲求」みたいなものだけはある。
だから、バンダイのキットみたいに完成度が高くて、短時間で、きちんと塗装しなくても見栄えのいいものが出来るようなのも、ありがたいことは、ありがたいんですよ。
だからガンプラとかSWのキットなんか、最初は感情的な反発もあったけど、今ではそれはそれで肯定的に受け止めてはいるんですけどね。
けれど、現実的な大人の事情を一切考えないで、理想としての本質的な模型の面白さを一言でいうなら
いじってなんぼ
だと思うんですよ。
たとえばキャラクターキットであれば、基本的にはそのキャラクターが好きだから買うわけですが、そのキャラクターに対する思い入れがあるから、完成品のフィギュアでもいい、って人がいるわけです。
これはフィギュアという製品への思い入れではなくて、そのキャラクターへの思い入れですよね。
バンダイのプラモは、どっちかっていうと、所有感がこの「そのキャラそのものへの思い入れ」に近いと思うんです。完成品のフィギュアを購入する人の感覚に近いという。
でも、プラモは、いじればいじるほど、愛着のようなものが沸くし、それは、そのキャラクターへの思い入れとは別に、模型という物理的な存在、ソレそのものへの思い入れになるわけですよ。
私なんか、だから別に好きでもなんでもないキャラ、へたしたら知らないキャラでも「模型として面白いから」っていう理由で買ったりするんですよ。
ま、とにかく模型は
いじるからこそ面白い。
というのは、言い換えると
いじる余地のある模型のほうが面白い
とも言えるわけですよ。
だから、模型なんて、最初からカンペキすぎると、どこかこう、面白くないんですよね。
バンダイの最近のキットは「本当にスゴイ」とは思いますが、イマイチ、面白さを感じないのは、そのへんの理由ですね。
模型としての余地が少なすぎる
という。
雑誌に関しても、昔は、模型にそういう余地のある時代だったからこそ、誌面が面白かった側面は強くあると思うんですよね。
まー、なんか話がとりとめない話ですが、長くなったんで、ここらで終わっておきます。