最近製作記が続いたので、ちょっとどうでもいい話をしてみます。
どうでもいいので、気にならない人はスルーしてください(笑)
私は、結構長い間、ホビージャパンのライターをやってたほうだとは思うんですが、なんせ
何十年前
っていうレベルの話なんで、そらもう、世間には、ほぼ忘れられたレベルですw
それでも、かなり頻繁に紙面に登場していたほうなんで、たまたま、その時期にダイレクトヒットとでもいうか、多感な時期に見られた方ですかね? そういう方の印象に残っている場合もあるようで、時々、いまだにコメントを頂いたりして。
昔は、そんな風に、自分が誰かの中に残るとは思ってもいなかったです。
仮に誰かの心に残っていたとしても、もちろんインターネットもなかったですから、当時の感覚からすれば、そんな知り合いでもない人のことを知る術はないのが当然なわけで、それなら、残ってないのと同じことだったわけですよ。
まさか、ネットで誰でも気軽にコンタクトを貰える時代が来るとは微塵も思ってなかったわけですから、今になって、そういうのに触れると
ありがたい話です。ああ、ライターやってて良かったなぁ
と、しみじみ思う次第です、歳を食ったせいですかね。
でね、そんなだから、ありがたいことに、何十年前にやめたプロモデラーでも、インターネットには、多少なりとも、情報が載ってたりするんですよ。
それで、時々なんですけど、そういうコンタクトを頂いたりすると、ふと、自分のことを調べてみたりする時があるわけです。
昔はほら、若いですから、アホというか、なんかこう、HJの誌面というか、ぶっちゃけ編集部のノリ自体が、かなり
植木等的
な部分もあったせいもあって、調子に乗ってたというか、まあ、早い話が
バカだった
と思いますので、悪口言われるのは仕方ないというか、自業自得というか、つまるところは自分でも納得してスルーできます。
まあ、反面、業界から離れて何十年もたつ今だから、すごく客観的に振り返れると思うんですけど、あの時代の空気というか、漠然としてますけど、誌面の空気だとか業界の空気だとか編集部の空気だとか
他のライターさんとの兼ね合い
というところで、なんとなくなんですけど
自覚的にああいう傾向を演じなければならない、それが自分に課せられた役割である
という意識は若いなりにもうっすらとあって、それで意図的にやっていたところもあるんで、必ずしも調子に乗ってただけ、でもないんですけどね~
なんでしょね、アイドルが意識してアイドルを演じるとか、悪役が意識して悪役を演じるとか、あの感じです。
ま、もちろん、性格的に、単に勘違いで調子に乗ってただけ、って人もいましたけどw
これ以上は言い訳くさいんで言いませんけど、振り替えると、当時のライターさんは、そういう風に、自覚的に自分の役割を演じてた人が多かったと思いますよ。
ベテランなら松本州平先生とか山田卓司先生とかチョーダイおじさん田中先生とか、そうだったと思います、プライベートでお話すると、全然違う感じでしたからね。
ああ、話がどんどんズレました(笑)
ま、そこの昔話はいいんですけど、要するにですね、悪口とかこき下ろされるのは、自業自得というか、昔のしっぺ返しというか(笑) まあ、そんな風に納得してスルーできるわけです、ということを言いたかったわけです。
それはスルーできるけど、さすがにスルーできないのが、インターネット時代の誤情報です。
だってさ、ふと、自分のことを調べてみたりすると、
なんかネット上の自分が凄いことになってるわけですよ(笑)
超マイナーな私ですらこうですから、現役の漫画家さんとかだったら、さぞかし凄いことになってんだな、としみじみ実感できます。
ものすごいありもしないことを書かれて、メンタル弱いとやっていけない、というのはよく分かります。
まず、時々見かけるのが、私が「ボークスに所属していた」という記述なんですけど、そんな事実はありません。
ボークスは、早くから社員にガレージキットの原型を作らせる、という制度を作った会社ですが、私がボークスで原型を作っていた当時は、まだその制度はありませんでした、というか、明確に確立してませんでした。
私はあくまでもフリーでボークスの原型を作っていただけで、全くボークスとは関係してません。
▲無断転用です、すいません。確かに、ボークスでこんなんの原型作ってましたけど、フリーランスです。大量に作りましたね。今だから言うけど、この特撮系のシリーズはあまり売れないので、ギャラはめちゃ安く、趣味でないとやってられないレベルでした。
次に、MAXファクトリーに所属していたという説も、事実ではありませんが、これに関しては過去に記事を書いているのでスルーするとして、MAX○辺氏との確執でモデラーをやめた、という説も見かけましたが、そんな事実は一切ありません。
確かに、当時はその件で事実誤認があり、色々と思うところはありましたので、その経緯を記事にしたこともありますが、少なくとも表だって、確執と呼べるものがあったわけではありません。
そのような事実は一切ありません。
あと、根も葉もない噂で
病気になったのでモデラーをやめた
という話がありましたが
全くそんな事実はありません
しかも、「野本憲一氏のHPにそう書かれていた」という説明までありましたが、私の知る限りでは、ノモちゃんは、そんなこと書いたことは一度もありませんよw
最近ご無沙汰ですね、たまには遊びに来てね。
今度は車があるから楽なので、また坂本龍馬の墓とか、見に行きましょうね(笑)
そんなわけで、なんかそーいう事情だから
プロモデラー復帰して欲しいけど、プロモデラー復帰はしないだろう
みたいなことまで書かれてるのを見ましたが、そんなことはありません。
少なくとも本人は、やる気まんまんですw
ただ、現状では製作時間が取れないのでどうかと、技術的に今の水準をクリアできるかは別問題ですがw なんか水面下でぼちぼちと画策してたりはしますw
一番驚いたのは
既に死んでる
という噂ですね(笑)
みなさん、あの世からのブログを拝見しているわけです、はい、読むと呪われますので、呪いを解くには三人以上の人にこのブログを宣伝してください(笑)
ご丁寧に、遺作が「イデオン」だという、そんな話まで書かれてましたw
友人の野本憲一氏にこの話しをしたところ、私は存じ上げないんですけど、最後の作品がイデオンで亡くなられたプロモデラーの方がいるそうで、私もモデラー最後の(原型)作品はイデオンとしているので(本当はバルキリーなので違うんですが)、その人と混同されてるんだろう、とのことでした。
▲その私が原型を作ったイデオンです。WAVEのEDシリーズです。今、販売されている各種のトイやフィギュアを見たあとでも、個人的にはコレがイデオンでは最良のプロポーションだと自分では思ってます、自分の趣味で判断してるんだから当然ですけどw
なお、私が当時モデラーをやめたのは、単に、その当時、仕事がなくなっていき、業界全体がなにやら低迷してきて、将来性がなさそうに思えたので
生活できなさそうに思えて、可能性のあるコンピューター分野に興味が向いただけのことです
なんせ、全く畑違いの分野ですから、そこで成功するためには、ある程度、今の仕事(模型)を完全に捨て去って専念するぐらいじゃないと、駄目だろうな、と思ったので、きっぱりと模型を捨てただけです。
幸いというか、そのおかげで、全く畑違いのコンピューター分野でもそこそこ活躍できて、たくさん著書や市販ソフトも出しましたけど、さすがに10年ちょっとでIT不況が来るとは思いませんでしたw
まあ、モデラーをやめた背景には、仕事で模型を作り過ぎて、うんざりしてきた、という現実もありましたけどね。
なにせ、全盛期の当時は、HJの作例と平行して、WAVEやVOLKSのガレージキットの原型、タカラの試作やバンダイの商品見本などなど、月に何作も作ってましたからね、徹夜の連続で、疲れすぎていました。
今のように、オタク商品が大量に売れる時代じゃないですからね、当然、個々のギャラも安いわけで、当時は、たくさん仕事しないと、生活できなかったんですよね。
当時は、まさか、こんな
1億総おたく
時代で、彩色された完成度の高いフィギュアが普通にそのへんで売られる時代が来るとは
想像もつかなかったんですよねー
想像ついてたら、プロモデラーをやめなかったと思いますけどねw
なお、コンピューターの仕事をしたせいで、デジタル世界というのは、どんなに凄くても実体がありませんから、逆に
物理的な存在である模型の良さ
を再認識できた、というのは、とても強くあって、それがモデラー復帰に繋がっています。
このへんの話も、いずれ書くといいかもしれませんね。
どうでもいいので、気にならない人はスルーしてください(笑)
私は、結構長い間、ホビージャパンのライターをやってたほうだとは思うんですが、なんせ
何十年前
っていうレベルの話なんで、そらもう、世間には、ほぼ忘れられたレベルですw
それでも、かなり頻繁に紙面に登場していたほうなんで、たまたま、その時期にダイレクトヒットとでもいうか、多感な時期に見られた方ですかね? そういう方の印象に残っている場合もあるようで、時々、いまだにコメントを頂いたりして。
昔は、そんな風に、自分が誰かの中に残るとは思ってもいなかったです。
仮に誰かの心に残っていたとしても、もちろんインターネットもなかったですから、当時の感覚からすれば、そんな知り合いでもない人のことを知る術はないのが当然なわけで、それなら、残ってないのと同じことだったわけですよ。
まさか、ネットで誰でも気軽にコンタクトを貰える時代が来るとは微塵も思ってなかったわけですから、今になって、そういうのに触れると
ありがたい話です。ああ、ライターやってて良かったなぁ
と、しみじみ思う次第です、歳を食ったせいですかね。
でね、そんなだから、ありがたいことに、何十年前にやめたプロモデラーでも、インターネットには、多少なりとも、情報が載ってたりするんですよ。
それで、時々なんですけど、そういうコンタクトを頂いたりすると、ふと、自分のことを調べてみたりする時があるわけです。
昔はほら、若いですから、アホというか、なんかこう、HJの誌面というか、ぶっちゃけ編集部のノリ自体が、かなり
植木等的
な部分もあったせいもあって、調子に乗ってたというか、まあ、早い話が
バカだった
と思いますので、悪口言われるのは仕方ないというか、自業自得というか、つまるところは自分でも納得してスルーできます。
まあ、反面、業界から離れて何十年もたつ今だから、すごく客観的に振り返れると思うんですけど、あの時代の空気というか、漠然としてますけど、誌面の空気だとか業界の空気だとか編集部の空気だとか
他のライターさんとの兼ね合い
というところで、なんとなくなんですけど
自覚的にああいう傾向を演じなければならない、それが自分に課せられた役割である
という意識は若いなりにもうっすらとあって、それで意図的にやっていたところもあるんで、必ずしも調子に乗ってただけ、でもないんですけどね~
なんでしょね、アイドルが意識してアイドルを演じるとか、悪役が意識して悪役を演じるとか、あの感じです。
ま、もちろん、性格的に、単に勘違いで調子に乗ってただけ、って人もいましたけどw
これ以上は言い訳くさいんで言いませんけど、振り替えると、当時のライターさんは、そういう風に、自覚的に自分の役割を演じてた人が多かったと思いますよ。
ベテランなら松本州平先生とか山田卓司先生とかチョーダイおじさん田中先生とか、そうだったと思います、プライベートでお話すると、全然違う感じでしたからね。
ああ、話がどんどんズレました(笑)
ま、そこの昔話はいいんですけど、要するにですね、悪口とかこき下ろされるのは、自業自得というか、昔のしっぺ返しというか(笑) まあ、そんな風に納得してスルーできるわけです、ということを言いたかったわけです。
それはスルーできるけど、さすがにスルーできないのが、インターネット時代の誤情報です。
だってさ、ふと、自分のことを調べてみたりすると、
なんかネット上の自分が凄いことになってるわけですよ(笑)
超マイナーな私ですらこうですから、現役の漫画家さんとかだったら、さぞかし凄いことになってんだな、としみじみ実感できます。
ものすごいありもしないことを書かれて、メンタル弱いとやっていけない、というのはよく分かります。
まず、時々見かけるのが、私が「ボークスに所属していた」という記述なんですけど、そんな事実はありません。
ボークスは、早くから社員にガレージキットの原型を作らせる、という制度を作った会社ですが、私がボークスで原型を作っていた当時は、まだその制度はありませんでした、というか、明確に確立してませんでした。
私はあくまでもフリーでボークスの原型を作っていただけで、全くボークスとは関係してません。
▲無断転用です、すいません。確かに、ボークスでこんなんの原型作ってましたけど、フリーランスです。大量に作りましたね。今だから言うけど、この特撮系のシリーズはあまり売れないので、ギャラはめちゃ安く、趣味でないとやってられないレベルでした。
次に、MAXファクトリーに所属していたという説も、事実ではありませんが、これに関しては過去に記事を書いているのでスルーするとして、MAX○辺氏との確執でモデラーをやめた、という説も見かけましたが、そんな事実は一切ありません。
確かに、当時はその件で事実誤認があり、色々と思うところはありましたので、その経緯を記事にしたこともありますが、少なくとも表だって、確執と呼べるものがあったわけではありません。
そのような事実は一切ありません。
あと、根も葉もない噂で
病気になったのでモデラーをやめた
という話がありましたが
全くそんな事実はありません
しかも、「野本憲一氏のHPにそう書かれていた」という説明までありましたが、私の知る限りでは、ノモちゃんは、そんなこと書いたことは一度もありませんよw
最近ご無沙汰ですね、たまには遊びに来てね。
今度は車があるから楽なので、また坂本龍馬の墓とか、見に行きましょうね(笑)
そんなわけで、なんかそーいう事情だから
プロモデラー復帰して欲しいけど、プロモデラー復帰はしないだろう
みたいなことまで書かれてるのを見ましたが、そんなことはありません。
少なくとも本人は、やる気まんまんですw
ただ、現状では製作時間が取れないのでどうかと、技術的に今の水準をクリアできるかは別問題ですがw なんか水面下でぼちぼちと画策してたりはしますw
一番驚いたのは
既に死んでる
という噂ですね(笑)
みなさん、あの世からのブログを拝見しているわけです、はい、読むと呪われますので、呪いを解くには三人以上の人にこのブログを宣伝してください(笑)
ご丁寧に、遺作が「イデオン」だという、そんな話まで書かれてましたw
友人の野本憲一氏にこの話しをしたところ、私は存じ上げないんですけど、最後の作品がイデオンで亡くなられたプロモデラーの方がいるそうで、私もモデラー最後の(原型)作品はイデオンとしているので(本当はバルキリーなので違うんですが)、その人と混同されてるんだろう、とのことでした。
▲その私が原型を作ったイデオンです。WAVEのEDシリーズです。今、販売されている各種のトイやフィギュアを見たあとでも、個人的にはコレがイデオンでは最良のプロポーションだと自分では思ってます、自分の趣味で判断してるんだから当然ですけどw
なお、私が当時モデラーをやめたのは、単に、その当時、仕事がなくなっていき、業界全体がなにやら低迷してきて、将来性がなさそうに思えたので
生活できなさそうに思えて、可能性のあるコンピューター分野に興味が向いただけのことです
なんせ、全く畑違いの分野ですから、そこで成功するためには、ある程度、今の仕事(模型)を完全に捨て去って専念するぐらいじゃないと、駄目だろうな、と思ったので、きっぱりと模型を捨てただけです。
幸いというか、そのおかげで、全く畑違いのコンピューター分野でもそこそこ活躍できて、たくさん著書や市販ソフトも出しましたけど、さすがに10年ちょっとでIT不況が来るとは思いませんでしたw
まあ、モデラーをやめた背景には、仕事で模型を作り過ぎて、うんざりしてきた、という現実もありましたけどね。
なにせ、全盛期の当時は、HJの作例と平行して、WAVEやVOLKSのガレージキットの原型、タカラの試作やバンダイの商品見本などなど、月に何作も作ってましたからね、徹夜の連続で、疲れすぎていました。
今のように、オタク商品が大量に売れる時代じゃないですからね、当然、個々のギャラも安いわけで、当時は、たくさん仕事しないと、生活できなかったんですよね。
当時は、まさか、こんな
1億総おたく
時代で、彩色された完成度の高いフィギュアが普通にそのへんで売られる時代が来るとは
想像もつかなかったんですよねー
想像ついてたら、プロモデラーをやめなかったと思いますけどねw
なお、コンピューターの仕事をしたせいで、デジタル世界というのは、どんなに凄くても実体がありませんから、逆に
物理的な存在である模型の良さ
を再認識できた、というのは、とても強くあって、それがモデラー復帰に繋がっています。
このへんの話も、いずれ書くといいかもしれませんね。